ようこそ
バーチャル寺院
聖 想 寺 へ

fuyufuji
Copyright © 仏教について, All Rights Reserved.

このサイトについて

 ここは、今、時々あちこちにあるところのバーチャル寺院であります。すなわち、仮想空間的寺院でありますから、中の記述は、事実に添ったものと、そうでないものがあります。また、いまだ、工事中であり、未完成なところが随分あります。また、また試験中のところもあります。  鋭意、充実していく予定です。

 初版 平成二十八年八月
 二版 令和二年四月二十九日 i-phone用に作成
  サイトの管理人

追記 法華玄義の読み下しはやめにしました。もともとは、妙楽大師の釈籤の現代語訳をめざしたものでしたが、時の流れとともに、いろいろ事情も変わってきたことがあります。
Copyright © 仏教について, All Rights Reserved.

庵主の言葉

庵主の富士見庵日種です。富士見庵という名をどうしてつけたかという由来は、私の法系に、明治期に、富士見庵に住んでおられた方があり、その方に因んだものです。それと、ここ、東京都心から西に数10キロのところから、冬になれば、晴れている日には、富士山がきれいに見えることからです。また、日種という名はおそれ多いので、やめにしようと思いましたが、ご恩があるので、やはり使っております。 日種という名は私の袈裟免許の時、貌下からつけていただいたものです。直接の師匠に、あとから、そのことを言いましたら、それは、あまり、名がよすぎるので、よくない。そういうことで、私の日号は、直接の師匠から、日英とつけられました。 庵主は、戦後の昭和の二十八年ころに、得度しました。正式に本山から度牒と、沙弥の免許を得たのは、三十年ころと思います。和紙で、達筆で書かれた果たし状あるいは、下文のようなものがありましたが、どこかに行ってしまいました。惜しいことをしたものです。非常な達筆で、それとわかる書き方でした。  しかし、引っ越しの時に、どこかにやってしまったのでした。袈裟免許は、高校に入る時にもらいました。それは、いまだにあります。かなり古くなっていますが。なつかしい思い出です。 小さい時から、坊主でしたが、高校三年の時に、抜け出しまして、世間の学問所に入りました。世間の勉強のほうがおもしろかったからです。それで、言語関係の部に入りました。四年間いとまをいただいて、また、寺に戻り、三年間、遅れたところを修行しました。それから、また、抜け出して、言語関係の仕事をして、また、戻ってきました。 聖人にあやかろうと、三十五までは、世間を見るために、遊学(?)していたということです。神社仏閣を何回もまわりました。それが仕事だったものですから。それはよいと言われました。 物見遊山でしたから。というより、日本のことを紹介するので、勉強は必要でしたが。おもしろい時期でした。 しかし、八年もやって、どういうわけか、戻りました。あたかも、清澄に戻った聖人に擬してでしたが。しかし、念仏無間等々は、唱えられませんでした。それだけの学問がなかったからです。それからは、外には、出ず、もっぱら、師匠について、勉強いたしました。あたかも、身延から一歩も出なかった聖人を擬してでしたが。そうして、この年になります。 そろそろ、究竟の法門がわかってもいいとは思いますが、そうは問屋が卸しません。
 法門無尽誓願知
 仏道無上誓願成
であるからでありましょう。
 富士見庵日種
  平成二十八年八月
  令和二年四月二十九日 二版
            南無○経。
Copyright © 仏教について, All Rights Reserved.

Movie

Movieは、下記のサイトです。
Movie

Copyright © 仏教について, All Rights Reserved.